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カムバック賞受賞者でベストナイン+

ザ・ベストナイン+ データ室
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戦力考察

近年の印象として前田智徳選手が中心になると思いきや、昭和の名打者が中軸に名を連ねた。肩の手術を経て復活した白井はこの面々では貴重な2桁盗塁を記録。最高出塁率、打率2位とあり1番打者に任命。2番藤田、3番谷沢と首位打者が続き、小久保門田とつながるクリンナップはOPS1.000超え。さらに6番鈴木健、7番杉浦、8番前田と3割20本オーバーの重量打線と息つく暇がない。

投手はエースの西本野村が最多勝。さらに最優秀防御率の安仁屋とタイトルホルダーを軸に2桁勝利の投手が揃う。リリーフ陣も曲者揃いで安定した成績を見込めそう。

カムバックいろいろ

大怪我や故障から復活した選手たち

吉村禎章(外野手)

1988年7月6日レフトの守備で味方と交錯し左膝を負傷。手術のために渡米、懸命なリハビリを経て1989年9月2日に代打で復帰。結果はセカンドゴロであったが大歓声が送られた。翌1990年、.327、14本の好成績でカムバック賞を受賞。1998年まで強打の外野手や代打の切り札として現役を続けた。

平野恵一(内外野手)

2006年5月、オリックスの二塁手として出場中ファウルフライを追った際にフェンスに激突し選手生命を脅かしかねない大怪我を負いシーズンを棒に振った。翌2007年は故障との戦いで出場数も激減、シーズン終了後に阪神へトレードされた。2008年環境が変わると本来の実力を発揮して見事カムバック賞を受賞。さらにその2010年.350という高打率を残し打率2位とバットでも貢献した。2015年現役引退。

村田兆治(投手)

ロッテで活躍、マサカリ投法で名を馳せた名球界投手。1983年、肘の状態が悪化し渡米。当時では異例のトミージョン手術を受ける。2年間をリハビリに費やした結果、1985年に復帰すると、開幕からの11連戦11連勝と予想を上回る。中6日の日曜日しか登板しないサンデー兆治との異名で大活躍、リーグ2位の17勝をあげカムバック賞を受賞した。1989年39歳にして最優秀防御率を獲得。翌90年に引退。引退後も50歳で140キロのボールを投げるなど鉄腕ぶりを発揮していた。

環境が変わって蘇った選手たち

西本聖(投手)

1980年から6年連続2桁勝利を収めてきていたが、86年から3年間は2桁勝利から遠ざかる。すると中日からトレードの申し出があり移籍。星野監督と相性がよかったのか、移籍初年度で20勝での最多勝を始めキャリアハイの成績を残す。翌年こそ11勝と先発投手として全うしたものの、その後は成績が振るわずオリックス、巨人を経て1994年に現役引退。

鈴木健(内野手)

長年西武の主軸を担ってきたが、2002年の成績不振で戦力外となりヤクルトへ金銭トレードとなった。正三塁手の岩村の故障により出番を掴み取るとそのままレギュラーへ。.317、20本塁打、95打点でキャリアハイを更新しカムバック賞を受賞。翌年は岩村の復帰に伴い一塁手で定着。その後は外国人の活躍や自身の腰痛もあって2007年に現役引退。

新浦壽夫(投手)

巨人の速球派左腕として鳴らした20代であったが、31歳の時に転機が訪れる。藤田監督のもと出番が激減する中、恩師の長嶋氏に電話したところ韓国プロ野球に行くことを推薦されたという。彼はそれを実行し3年間で54勝20敗、防御率2.53と圧倒的な成績を残し1987年に日本凱旋。大洋ホエールズに入団すると、11勝を挙げカムバック賞を受賞。ピッチングスタイルはかつてのものと変化しチェンジアップを得意とする老獪なピッチングであった。その後、ダイエー、ヤクルトを経て1992年に現役引退。

遠山奬志(投手・外野手)

遠山昭治。阪神にドラフト1位で入団し高卒ながら8勝をマーク。その後は伸び悩み、1990年にロッテ移籍、1993年にサイドスローにチェンジ、1995年に打者転向、1997年に阪神復帰、その時の吉田監督の勧めもあって投手再転向。1999年に登録名を遠山奬志に変更。シュートを習得し野村再生工場によって松井キラーの地位を確立する。2002年現役引退。

この選手カムバック賞あげてもいんじゃない!?

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